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首都イスタンブール
15世紀から19世紀にかけてオスマン帝国の中心であった トプカプ宮殿 |
国名はトルコ人に由来し、トルコとは力強い人を意味する。アジアとヨーロッパの間に位置し古くから東西文明の接点として発展してきた。中世以降はオスマントルコ帝国が発展しイスラム文化の中心的存在となった。
トルコの国旗は、赤地に白の新月(三日月)と五芒星を配した旗。「新月旗」及び「月星章旗」と呼ばれる。この三日月と星のシンボルは、その後オスマン帝国の旧領土、イスラム教またはトルコに関連する国の国旗などで多く見られ、アラブ・イスラム諸国に大きな影響を与えた。
現在この三日月と星の組み合わせはイスラム教のシンボルとされるが、小アジアではイスラム教の普及以前から使用されていた。
この国旗のデザインについては様々な伝説がある。
1448年のコソボの戦いで流されたおびただしい血の海に、三日月と水星が映って見えたとされ、それを皇帝が国旗とした。この戦争はオスマントルコ人たちがキリスト勢力を倒しオスマントルコ帝国として東ヨーロッパを治めることとなった戦い。
または、時代はさらに遠い過去に遡りビザンチン帝国時代に起源が有るという説もあり、ビザンチンの女神として知られるダイアナ(アルテミス)のシンボルが月であり、330年にコンスタンチヌス皇帝がビザンチンの街をコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)として聖母マリアに捧げる際に彼女のシンボルである星をダイアナのシンボルに重ね合わせて出来上がったといわれている。というように三日月と星は古代ギリシャの都市ビザンチン(その後のコンスタンチノーブル、イスタンブール)のシンボルとして使われていた。それが1453年オスマン帝国に滅ぼされたが、月と星のシンボルだけは命脈を保ち、オスマン帝国のシンボルとして採用されたとされる。
また、オスマ帝国初代皇帝の夢の中で彼の胸から出てきた三日月と星が拡大し、オスマン帝国のコンスタンチノーブル征服の予言を知らせたとの説もある。
1453年コンスタンチノーブルの陥落の夜に皇帝が三日月と星を夜空に見たとの説もある。
赤色は700年間トルコ民族の旗として使用されており、星と三日月に関してはイスラムのシンボルといわれています。
オスマントルコ帝国からトルコ共和国建国となった時に旗のデザインの基本は変更されることなくトルコ共和国国旗として継続して使用されるようになりました。トルコ国旗は1936年5
月29日のトルコ国旗法により定められました。
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